10月21日、30歳になります。
10代の頃、自分は30くらいで死ぬんだとなんとなく思っていました。
このままずっと一人で社会人になってもただ黙って働いて、事故だか病気だかふわっと居なくなるんだと当たり前に思っていました。
いまのところ会社ではかわいがって貰えて人生でいちばんお喋りできるようになったので、幸いにもその予感は外れています。
ただ、子どもの頃の予感、ただふっと湧いてきて疑いもせず納得するようなものは大概そうなったので、この先自分がどれだけ生き延びるのか実は本気で不安です。
もう、両親に歩み寄ることができません。
私への投資に失敗した分を少しでも回収したいようですが、なんせ失敗作の私には差し出せるものが限られています。
過去に遡って回収するのは私がずっとこの家に居続けることが前提でしょうから、もう出ていけないかもしれないなあ。
いまの仕事を辞めることにしたのですが、うまくいけば来年の1月くらいで、その後どうなるのかな。いまより長く働けるから確実に収入は増えるけど、微々たる増額分を家に入れるからとんとんだな。
少ない求人のなか一般事務は正社員でも賞与なしとか普通なので、派遣で残業できるとこ探してもらうのが現実的かなあ。
一応、出て行くことを希望にしてやっていくことにしたんですが、難しそうです。
でも精神が死ぬ前に出ていかなければ。
地元に一人しか友達いなくて交際費はかからないし、頻繁に買い物しないし、遠出もしない。元々の支出が少ないとこ食費の無駄を省いてきたんですが、こっからさらに節約すると、ほんのちょっとした楽しみを諦める感じになっていくなあ。
それでも歌えればよかったんだけど、もう歌えないし、ピアノにも触れないし。
結局それがいちばん辛いのか。
そっか。
妹に子どもが生まれて、母が仕事をやめて、来年には父も定年です。
のんびり居座っていた居間が着々と模様替えされてとても居心地の悪い配置になり、最近は自室にこもり気味です。
もう私が晩ごはんを作る必要がないので、土日は誰とも一緒にごはん食べないです。
小さい頃から相手が家族ですら話し声のするところに入っていけなくて、土日ずっと部屋でベッドに籠っていたのを30近くになってまた繰り返すころになるとは。お腹がすいてもトイレに行きたくてもひたすら我慢してた。これもう生まれつきの性分なんですね。仕方ない。
母のイントネーションと父のでかすぎる声がどうしても苦手なんです。
父が定年退職したら逃げ場がなくなってしまう。
一日中、大きすぎる声ときたない食事音が続くなんて耐え難いです。
ああ、ほんとに耐え難いな。
私消えた方が良さそう。もう誰も困らないよね。
母の手術の準備とリハビリに付き合うつもりだったけど、結局手術する気配ないし。馬鹿みたいだったな。
これ以上恨みが増えないように、出て行かなくてはね。
もうここを見ているかはわからかいけど、もし私と連絡がつかなくなったら子どもの頃の予感が当たったのかもしれません。
こういうことは書かない方がいいのか悩んだけれど、万一のために書いておきます。
いまは毎日お喋りして過ごしているから、大丈夫だと思いたい。
私はこれからも生きていたい。
子どもの頃と違って、生きていたいとはっきり思う。